jyanjayakaの日記

はやめのリリース、しょっちゅうリリース

ルジャンドル変換の必要性とは

参考サイト

ルジャンドル変換とはなにか(動画バージョン)

ルジャンドル変換とは何か(Legendre transformation)

ルジャンドル変換とは? – now♯

 

ある力学系の時間発展はラグランジアンLによって特徴付けられる。つまり力学系の全ての情報はLに含まれていると言える。もう少し正確に言おう。そもそもLとは何かというと、それは関数であり、関数とは変数と変数の対応関係であった。であるから系を記述する変数の組とラグランジアンの値Lとの対応関係が力学系の全ての情報を含んでいるのである。重要なのは変数と変数の対応関係それ自身である。

 

解析力学の目的は変数変換によって複雑な運動方程式を解くことである。しかし変数変換によって一般に関数が表す対応関係は変化する。それは当然で変数xと変数yとの対応関係y=y(x)と、x=x(u)である変数uと変数yとの対応関係y=y(x(u))とは異なるのは明らかだろう。(例えばxとuが同じ値であっても、一般に対応するyの値は異なる。これはx-yとu-yの対応関係が異なることをはっきりと表している。)

 

ラグランジアンの変数を単純に変換すると、Lが持っていた情報は変化してしまう。そこで変数変換を行った時、新しい変数の組に対して新しい関数Hを上手い方法で定義する必要が出てくる。つまりLが持っていた対応関係の情報と全く同一の情報(=変数依存性)をHが持つようにするのである。この「上手い」変数変換(より正確に言うと、変数の変換に伴う関数の変換)がルジャンドル変換と呼ばれているものに他ならない。

 

ルジャンドル変換がなぜ情報を保つのかは、幾何学的に考察すると分かりやすい。

 

ある幾何学的対象(曲線や曲面)を別々の見方をしていると解釈出来るからだ。LもHも同じ図形Xを再現できる。*1幾何学的対象はア・プリオリに与えられていると考え、座標系を導入することによって変数間の対応関係が規定される。つまりLもHも同じ幾何学的対象から、単に座標系の入れ方が異なるだけで生み出されているということだ。逆にLやHが与えられていれば図形Xを復元できるのだから、LもHもXが持つのと同じ情報量を持つと言える。

 

認識すべき重要な点は、変数を変換すると、関数も変換しなければならないということだ。

 

物理学でしばしば用いられる変数の変換がある。それに対する関数の変換がルジャンドル変換である。なぜこの変換が解析力学で重宝されるのかというと、それはこの変換によって得られるHについての正準方程式が、ラグランジアンLを用いたラグランジュ方程式よりも理論的に扱いやすいからであろう。(同じ情報量を持っているのに、視点によって問題が扱いやすくなる・・・これが変数変換の利点である!)

*1:これは座標幾何学の考え方であり、方程式から図形が、図形から方程式が生み出されるという考え方である。それはつまりLとHが同じ情報量を持つことを意味する。

第二ディリクレ原理について

参考文献

www.kyoritsu-pub.co.jp

 

リーマン幾何学について考えている時に、どうも色々しっくりこない時に見つけた良書。

 

「第二ディリクレ原理」とは、

 

「計算を概念的思考で置き換える」

 

こと。ごちゃごちゃ計算した後に「これが結論です」というのではなく、上手い概念を見つけ、それらを論理的に操作することで、極力計算をすることなく同じ結論に到達することを目指す。その方がより物事の真理を理解したと言えるのではないだろうか。

特殊相対性理論で重力が扱えない簡単な理由

参考文献

www.amazon.co.jp

 

アインシュタイン本人が自身の理論について説明している。しかもなんとそれが分かりやすい。アインシュタインの思考過程も垣間見ることが出来る。

物理的、直感的イメージを優先しているのが良く分かる。思考実験を巧みに用いて、物理現象の本質に迫っていく過程は、何か推理小説を読んでいるような感覚さえ覚える。

優れた理論物理学者は思考実験が上手いというのはどこかで聞いた話だが、それが実感できる。

優れた思考実験は、素朴でありながら、そこに物理理論の本質が詰め込まれているという、かなり欲張りなものである。そういう例を探してくることは、ものすごく難しい。

 

本題。

特殊相対性理論光速度不変を原理の一つとして採用している。

 

重力場が存在するとこの原理が破綻する。

 

これが特殊相対性理論で重力を扱えない理由である。ものすごく単純。

なぜ重力場が存在すると光速度が不変でなくなるのかというと、それは重力場の存在によって光の進路が湾曲することから分かる。光の進路が湾曲することは、光の速度(=運動の向き+速さ)が場所場所によって変化せざるを得ないことを意味するのだ。

 

光が空間を直進することは特殊相対論において非常に重要である。それはローレンツ変換を導く際の基本的要素であったから。もし光が場所によって(つまり重力場の存在する領域では)進行方向を変えるようなことがあると、もはやローレンツ変換を使うわけにはゆかなくなる。

 

重力場が存在する領域内においては、二つの慣性系の間の座標変換はもはやローレンツ変換ではなくなる。

ホラーに関するある考察

東西の「ホラーの琴線の違い」って、おそらくありますよね。乱暴に決めつけてしまえば、古くより東洋人は恨みや因果応報など情緒に基づく超越的な神秘を楽しみ、西洋人はもっと物理的な、無差別の厄災に近い脅威を好んできた。そしてそのハイブリッドとして例えば貞子やSCP Foundationといった、筋が通っているようで理不尽極まりないという「恐怖のニューウェーブ」がある。と、思えるわけです。本作FIREBASEは、そんな東西両方への恐怖へ訴えかける、上質のグローバルホラーと言えるのではないでしょうか。

 

Oats Studiosのレビューより。

面白い考察。

マクスウェル方程式は本当に基礎方程式か

マクスウェル方程式電磁気学の基礎方程式と言われる。

 

電磁気学とは電場と磁場の性質を明らかにするものである。したがって最終目標は電磁場を決定することである。

 

マクスウェル方程式が基礎方程式と言われるからには、その方程式を解くことによって電磁場が決定できなければならないだろう。

 

しかしマクスウェル方程式がちゃんと決定するに足るか、つまり電磁場決定の必要十分条件であるかは直感的には明らかではない。

 

どの教科書もマクスウェル方程式が基礎方程式だという前提でスタートしている。

 

もしマクスウェル方程式が必要十分であれば、その理由を、なるべく直感的に分かりやすく理解したいと思う。

 

ニュートン力学の基礎方程式であるニュートン運動方程式は、物体の運動を決定するだろうか? 物体に力が働くと、物体には加速度が生じる。加速度が生じると速度が変化する。(速度の変化率が加速度なのだから当たり前だが。)速度とは位置の変化率であるから、結局物体の運動は運動方程式で理解できそうである。

 

加速度と力という特別な概念に注目し、それらの間の関係を記述するものとして運動方程式を定義する。こうすると、物体の運動が確かに運動方程式で定まるということが、直感的に理解できる。これは注目する概念が正しかったからだろう。

 

一方電磁場の振る舞いを理解するのは、物体の運動ほど簡単ではない。それがマクスウェル方程式が基礎方程式かどうかという疑義の源である。マクスウェル方程式を直感的に理解するにはどんな概念に注目すれば良いだろうか。

運動と測地線について

アインシュタイン方程式によって時空の計量が定まる。それはそれで大変結構なのだが、それだけでは物体の運動について何も積極的なことは言えない。


運動とは位置の連続的変化である。ではなぜ物体はその位置を変化させるか。時空の計量からだけではそれは定まらない。何か別の積極的な仮定が必要となる。


そこで、物体の運動は他に何も力を受けていないならば測地線に沿って位置を変えるという仮定を設けて初めて時空の計量と力学とが結びつく。これはニュートン力学における慣性の法則の自然な拡張である。

「重力とは時空の歪みである」とは一体どういうことか。

空間が曲がっているとは一体どういうことか。

円柱面も球面も見た目的には「曲がって」いる。しかし実は円柱面上の幾何学は平面上のそれとまったく変わらない。一方で球面上の幾何学は平面のそれとは異なる。両者は曲がっているが、その「曲がり方」には何らかの差があるのだ。

 

幾何学を成立させるためには距離の概念が必要である。実際、任意の二点間に距離が定義できていれば、最短経路としての直線を定義することができる。そして空間は十分拡大するとユークリッド空間に収束するという仮定を加えれば、二直線間の角度を定義できる。こうして円柱面でも球面でも三角形を定義することができる。しかし内角の和は球面上では180°とはならない。

 

一体円柱面と球面との差はどこから来るのだろうか? それが見た目的な曲がり具合からではないことは明らかである。

 

距離が定義できれば幾何学が展開できる。したがってもしも、ある曲面を任意の二点間の距離を不変に保ったまま、平面上に写す事が出来れば(つまりそのような性質を持つ写像が存在すれば)その平面上で展開できる幾何学は、その写像によって全く同じように平面上で展開することが可能となるだろう。

 

つまり、円柱面と球面の差とはこの平面への「等長距離写像」が存在するか否かであるということになる。

 

すると次の問題は、等長距離写像が存在する条件とは何かということになる。これがいわゆるリーマンの曲率テンソルの出自である。つまり曲率テンソルが大域的に0になることと、等長距離写像が存在することとは同値なのである。(本当?)

 

距離を保つということから明らかなように、重要なのは空間の見た目なのではなく、その上に定義された距離=計量である。空間という集合論的な入れ物はそれ自身では空虚なものであるが、そこに計量を与えることによって一気に幾何学的存在として現れて来るのである。

 

アインシュタインが示した重力方程式というのは、この計量を決定するものだと言って良い。我々は時空という空間にどんな計量が定義されているのかア・プリオリには知らない。アインシュタインはそれを見つけたのである。

 

結論を言葉で言えば、時空の計量はそこにある物質の量で決まる。ということになる。そして計量が決まると直線=測地線が決まり、それが物体の運動だということになる。つまり重力によって物体が運動しているのではなく、物質が生み出す時空の計量によって物体の運動線が定まるのである。

 

要は重力とは計量なのである。そして計量は空間が「曲がっているか」どうかと言っても良い。なので、よくよく知られている一般相対性理論における標語「重力とは時空の歪みである」に落ち着くことになる。

 

次の疑問はもっと実際的なものだ。すなわち一体リーマンの曲率テンソルとはなんぞや? そもそもテンソルとはなんぞや? という話。一般相対性理論の話の持って行き方は分かったけれども、その具体的な構成方法が次に知りたくなって来るというわけだ。