良いリーダーとは
良いリーダーはビジョンを示す。
ビジョンが明確であれば、下の者はそのビジョンに沿って知恵を出して、具体的な行動に移れる。逆に曖昧なビジョンでは人は動けない。動かないのではなく、動けない。
良いリーダーは具体的な作業を下に任せる。
良いリーダーは1から10まで指示するのではなく、明確なビジョンを示すことだけをして、後は任せる。それで時々方向修正をする。
もちろん、そのためには有用な人材が下にいることが必要であるから、そのためにリーダーは人材育成に力を注がねばならない。
ある程度の思考力と行動力を持つ人材が育てば、あとは勝手に物事が進んでゆく。
そういう環境を作り、利用するのが良いリーダーだ。
Pythonのインストール@Windows10
参考サイト
Windows x86-64 MSI installerで良いそうだ。(MSIってのはよくわからんがこれはインストーラーでx86-64というのは64bit用という意味らしい。)
x64ってなに?
更新プログラムをダウンロードするときに選ぶ x86 パッケージ、x64 パッケージって何?
MSIってなに?
おおっと。
Pathをオプションで設定するのを忘れたらしい。
↑すごく丁寧に書かれた良い文章。
システムから入って「その他の管理ツール」。
システム環境変数はPC全体。ユーザー環境変数は該当ユーザーのみ。
windows10だと環境変数の編集が簡単に出来るようになっていて、pathの長ったらしい文字列の後ろに追加する代わりに、新規追加で簡単に新しいパスを登録出来るようになっていた。やるじゃん。
よかったよかった。
PythonでTODOアプリ作成
今出回っているTODOアプリで完全に自分がこれだと思うものがない。ので、自分で作ってみることにする。グラフィカルなUIでどんな環境でも使えるようにしたい。スマホでもWindowsでもMacでも使えるやつがいい。
作るなら、まず言語を決めなければいけない。どれにしようかと思ったら、どうやら初心者にはpythonが良いらしい。
といわけで言語はpythonに決定。
次にどうするか。
- 単純に「python todoリスト」とかで検索してみる。
- グラフィカルUIを作りたいならまずゲームの作り方を学んでみようか。(ゲームを作るのは楽しそうだから長続きしそうだ。
- どんな環境でも使えるなら、Webアプリケーションが良いかもしれない。なので「python webアプリケーション」とかで検索してみる。
参考サイト(順次増えてゆく予定)
配位空間を導入すると拘束力が消える理由
力学系の状態が配位空間を運動すると考え、その運動方程式を書き下すと、そこに拘束力が全く含まれていないようにできる。
これは考えてみれば当たり前の話で、拘束力は力学系の状態が配位空間で起こるべしという規定を実現させるための、いわば辻褄合わせの力なのである。だから配位空間内で運動が起こるという前提のもと、独立な運動方程式を立てれば、そこに拘束力はないはずなのである。配位座標の時間発展を考えている時点で、前提として運動は配位空間内で起きているのだから、そもそも拘束力を考える必要がない!
なぜ拘束力を考えなければならないのかというと、それは我々が力学系を記述するために導入していた座標(普通は直交座標)が上手いものではなかったからである。つまり力学系の記述にとって多すぎる変数を用いている。それによって束縛条件というものを考えなければならなくなり、その結果拘束力を運動方程式内に含めなければならなくなった。
これは上手い座標系=配位空間座標系を導入することによって解決される。
解析力学で悩むところ・・・結局Fは時間の関数じゃないのか?
質点に働く力FをF(x,v,t)と表す。しかしvやxはそもそもtの関数なのだから、最初からF(t)と表せばよいではないかという疑問が出てくる。
しかしF(x,v,t)とF(t)は関数として異なるものである。より詳しく言うと、変数依存性の観点から見ると両者は異なる。実際、F(x,v,t)と表した時に問題となっているのは力Fがx,v,tの3つの値に対してどう定まるか。その変数依存性である。一方F(t)と表すと力Fが時間tに対してどう定まるかが問題となる。大事な点はFそのものの値ではなく、x,v,tに対してFがどのように決まるか。その機構。対応関係である。
もちろんある瞬間におけるFの値が両者で異なるということはない。
F(x,v,t)と書いた時には、将来的にFのxやvへの依存性(たとえばFのxでの偏微分やvでの偏微分)を考えることを考慮している。もしF(t)という関数を扱うのであればこの関数のxでの偏微分は考えることができない。なぜならF(t)という関数はtに対してのFの依存性を与えているだけであり、xに関する依存性の情報は持ち合わせていないからである。