jyanjayakaの日記

はやめのリリース、しょっちゅうリリース

ガロア理論2

方程式を解くというのは、歴史的に見れば解の公式を求めることと同義であった。ここではそもそも解の公式とは一体何なのか、反省してみる。

 

解の公式とは何か

方程式が決まれば、その解が定まる。「方程式が決まる」ということをもう少し詳しく説明すれば、それは係数が決まることである。n次方程式にはn+1個の係数があるが、定数倍は方程式の解を変えないので、n次の係数を1と仮定して一般性を失わないから、結局n次方程式はn個の係数 (a_0, a_1, \cdots , a_{n-1}) \を決めれば決定されると言える。

最初に書いたように、我々は解そのものに興味があるのではない。 (a_0, a_1, \cdots , a_{n-1}) \からどうやって解が定まるのか、ということに興味がある。この過程fに注目し、それを「代数的に」表現をしたものが解の公式である。「代数的に」というのは、「足す・引く・掛ける・割る・ルートを取る」という5種類の操作だけを許すという意味である。

わざわざ「代数的に」と付けたのは、本来 (a_0, a_1, \cdots , a_{n-1}) \から解が決定される過程が、別に代数的に表現する必要性が無いからである。(例えば三角関数を取るという操作を含めてもいいはずだ。)つまり我々は「代数的に」と言って、自らに制限を課していることになる。

似たような状況に、作図がある。ある図形が作図できるか、というのは暗に「定規とコンパスのみを用いて」という制限が課されている。例えば角の三等分を作図せよという問題は、分度器を使えば容易いのであって、「定規とコンパスのみを用いて」という制限が加わって初めて難問足り得る。*1

制限というのはマイナスイメージを伴って用いられることが多いが、制限をすることがクリエイティビティを生み出すということもある。例えばサッカーを見てみると良い。手を使わないで足だけでボールを扱え、という制限を課しているが、それによって華麗な足技を我々は鑑賞することが出来る。

ガロア理論でも同じことだ。過程fを代数的に表現せよと、問題を解く手法を制限したから、このような豊かな理論が生まれたのである。

 

解の公式を求めてみる

まず手始めに、思いっきり簡単なところからスタートしてみよう。

1次方程式

 a_1 x + a_0 = 0

の解の公式を求めてみる。

等式の性質を利用すればこれをxについて解くのは難しくない:

 \displaystyle{ x = - \frac{a_0}{a_1} }

これは与えられた方程式の解xを係数だけを用いて明示的に与えている。そしてさらに代数的な手段のみを用いて、xを求める過程を表現している。よってこれは確かに1次方程式の解の公式である。

 

次に、2次方程式

 a_2 x^2 + a_1 x + a_0 = 0

の解の公式を求めてみる。

1次方程式の場合のように、等式の性質を素朴に利用したのでは、2次方程式は解くことができない。なぜならxが2つの項に分離して存在しているからである。この分離の問題を解消するためには、平方完成と呼ばれるテクニックを用いる必要がある。

以下、計算式を簡略化するため、方程式の最高次の係数は1としよう。

平方完成とは要するに、

  x^2 + a_1 x + a_0

という2次式を

  \displaystyle{ \left ( x + \frac{a_1}{2} \right )^2 - \frac{a_1^2}{4} + a_2}

と変形することである。

ここで \displaystyle{y = x + \frac{a_1}{2}}で新しい変数yを定義すれば、上の式はyを用いて

  \displaystyle{ y^2 - \frac{a_1^2}{4} + a_2}

と書ける。

平方完成を単に式変形のテクニックとして説明するのも良いが、このように変数変換によってより解きやすい式に書き換えるという見方の方が分かりやすい。

つまり変数変換 \displaystyle{x = y - \frac{a_1}{2}}を行うことで、xの2次式

  x^2 + a_1 x + a_0

を、新しい変数yによる2次式

  \displaystyle{ y^2 - \frac{a_1^2}{4} + a_2}

に書き換えることが、平方完成だというわけだ。2つに分離していた変数が一つの項にまとまったのが分かる。こうして分離の問題を克服できたことに注意する。

変数変換によって問題を単純化するということは広く行われることであり、例えば微分方程式を解く時にも用いられる。物理学で座標を問題の状況にあったものに取り替えるというのも、結局は変数変換で微分方程式を解きやすいものに書き換えているだけなのだ。

平方完成というテクニックも、こう見ると、変数変換というテクニックの一つの方法に過ぎないことが分かる。

一旦平方完成をしてしまえば、

  \displaystyle{ y^2 - \frac{a_1^2}{4} + a_2 = 0}

を変形して

 y^2 =  \displaystyle{\frac{a_1^2}{4} - a_2}

となる。

この先へ進む前に、ここで一度虚数iの復習をしておく。

 

虚数の復習

最も基本的な事実からスタートする。それは「どんな実数も2乗すると0以上となる」というものだ。従って「2乗して負になる数」は実数には存在しない。

そこで数の概念を拡張して「2乗して負になる数」も我々の数のカタログに含めることにしよう。それはそれで良いのだが、何かその数を表現する記号を新しく用意しなければならない。なぜなら実数だけ扱ってきた我々は、そのような数を表す記号を持ち合わせていないからである。

実は、「2乗して負になる数」より前にも、我々は新しい数が出てくる度に、新しい記号を導入して、その新しい数をなんとか表現してきた。自然数1,2,3...を拡張して、新しく「負の数」を導入した時、それを表すためにマイナスという記号を導入した。また、何もないことを表す数を導入した時、0という記号を導入した。こうして整数...,-3, -2, -1, 0, 1, 2, 3,...を書き表せる。次に0と1の間の数、つまり少数を導入した時、0.5あるいは1/2という分数の記法を導入した。こうして我々は有理数を書き表せる。次に無理数を導入した時、我々はルート記号を導入した。ただしここで今までと事情が変わって、ルート記号を導入しただけでは、全ての無理数を書き表すことは出来ない。これは無理数の定め方に問題がある。無理数とは「有理数以外の全ての実数」と定義される。有理数以外なら何でもいいのだから、無理数は単一の記号法で書き表すにはあまりにヴァラエティに富みすぎているのだ。

さて、兎に角も「2乗して2になる数」なら、これを \sqrt{2}と書き表せるようになった。「2乗して負になる数」についても、同じようなことをしようというのである。負の数のなかで、最も基本的な数は-1であろうから、これを基準として、「2乗して-1になる数」をiと書き表すことにする。ただし、ここで一つ注意して置かなければいけないことがある。それはiも-iも2乗すると-1になるということである。つまり単に「2乗して-1になる数」と言っても、数が一つに定まらないのである。同じことはルート記号の場合にもあって、単に「2乗して2になる数」といっても定まらない。そこで \sqrt{2}は「2乗して2になる数」の中でも、正のものを表すという約束をする。

しかし残念ながら、虚数に正とか負とかいう概念は適応できない。このことは簡単に見ることが出来る:もし仮に虚数に正負の概念が適応出来たとすると「2乗して-1になる数」のうち、正のものをiとおける。もちろん

 i \gt  0

である。しかし両辺を2乗すると

 -1 \gt 0

となって矛盾を生ずる。したがって虚数に正負の概念は無い。

どちらをiと書き表すか、明確な基準がないから、ここに大きな選択の自由が生まれてしまう。「私のiは貴方の-iだった」ということが起こりうる。

しかし、これは問題とはならない。「2乗して-1になる数」のどちらをiと書き表すことにしても良いのである。なぜか? それは、iが「本当は」どちらの虚数を表しているのか誰にも分からないからである。

卑近な例を取ってみよう。今、瓜二つで全く、誰にも(親にでさえも!)区別出来ない双子がいたとしよう。双子の一方にA、もう一方にBと名付けたとしよう。いや……「名付けたとしよう」と言ったが、考えてみて欲しい、そもそも二人は区別できないのだから、どちらがAかは重要ではないのである。せいぜい言えるのは「Aでない方がB」(あるいはその逆「Bでない方がA」)ということだけである。つまり二人の関係は相対的なものでしかないのだ。もちろん、もし仮に双子を区別する方法があれば、話は別になる。この場合二人の関係は絶対的であり、どちらをAと名付けるのかはちゃんと意味がある。

別の言い方をすると、我々は虚数について語る時「どちらかをiとすれば、もう一方は-iとなる」という、2つの虚数についての相対的な関係性だけを知っていれば十分なのである。「2乗すると-1になる数」は2つあって、それを i, -iと表す……と言えばこれからの議論にとって十分であり「2つのうちどちらをiとしたか」という情報は一切必要ないのである。この情報の不必要性が、逆にiと-iの相対性を表しているとも言える。

さて、iと-iの相対性が明らかになったところで、次のステップに移ろう。

Aを正の数としたとき、「2乗して-Aになる数」は i\sqrt{A}, -i\sqrt{A}の2つである。ここで \sqrt{-A} = i\sqrt{A}と定めて、ルート記号を負数に拡張する。ちなみに、こう約束すると \sqrt{-1} = iとなる。( i = \sqrt{-1}でiを定義できないことに注意しよう。なぜなら虚数を定義する前は、負数に対するルート記号が定義されていないからである。)

 取り敢えず一旦、この辺りで虚数の復習を終わろう。

 

 2次方程式の解の公式

 y^2 =  \displaystyle{\frac{a_1^2}{4} - a_2}

から

 \displaystyle{y = \pm \sqrt{\frac{a_1^2}{4}-a_2}}

を得る。もちろんルート記号の中身が負でも問題ない。

こうして2次方程式を解くことが出来た。xの値が欲しければ変数変換が

 \displaystyle{x = y - \frac{a_1}{2}}

であったことを思い出せばよくて、

 \displaystyle{x = - \frac{a_1}{2} \pm \sqrt{\frac{a_1 ^2}{4} - a_2}}

を得る。これが2次方程式の解の公式である。

 

 

次に、3次方程式

 x^3 + a_2 x^2 + a_1 x + a_0

の解の公式を求めてみよう。

 

 

(次回へ続く)

 

(番外編)虚数は発明か、発見か

「2乗して-1になる数」をi,-iと書き表すことにした。ここでふと気になるのは、「2乗して-1になる数」はiと-iだけか?ということである。数の世界はもっと広くて、実は「2乗して-1になる数」はもっとたくさんあることだって有り得るのではないだろうか?

こう考える時、その人は「数はそこに最初から在って、人間はそれを発見しているだけである」という立場に立っていると言える。しかし、本当にそうだろうか? 我々は実数を飛び越えた時点で、新しい数を創造してしまったのではないだろうか? (この立場に立つと、虚数の存在という問題に頭を悩ませる必要はなくなる。)

いや、そもそも実数の存在だって怪しい。

果たして数とは人間の知的活動とは別に存在するものなのか、それとも数は人間が作り出した道具に過ぎないのか......

この壮大な問題に回答を出すことは諦めて、次のもう少し実際的な事実を述べるに留めよう:

論理的に矛盾がなければ、それは数学の対象足り得る

例えば「2乗して-1になる数」にはi,jという2つが「独立に」あるとしよう。ここで「独立に」という意味は a + bi + cj = 0であるのは a = b = c = 0の時のみに限るということである。(もしそうでなければ、jは複素数に過ぎないことになり、新しい数を導入したことにならない。)

ここで問題になってくるのはiとjの積が何になるかである。これは少し計算すると分かることだが、 ij = a + bi + cjを満たすような実数a,b,cは存在しない。つまり、jのような数をそれまでの数の体系と無矛盾に定義することは(少なくとも複素数の素朴な拡張としては)できない。

しかし、4元数の存在を見れば分かるように、工夫すれば「2乗して-1になる数」がi,j,kの3つある数体系を無矛盾に構築することが出来る。

複素数や4元数の存在に頭を悩ませない方法は、それらをチェスのルールのようなものだと思うことである。つまり複素数や4元数は人間が想像力豊かに生み出した架空の数であり、それらは一定のルールに従うことを要請されているものだと考えるのだ。複素数の計算をする時、単にルールに従って記号を操作しているに過ぎないと割り切ってしまえばよい。これならどんな突飛な概念が出てきたとしても許される。

ただしそれでも唯一要請されることがあって、それはルールそれ自体に矛盾が無いことである。あるいはそれまであったルールとの整合性がちゃんと取れていることである。逆に言えば、これさえ守られていれば、その新しい概念は数学的対象足り得るのだ。

しかし、例えば複素数は、それを「数学者の空想の産物」として除くにしては、あまりにも便利すぎることを心に留めておく必要はあるだろう......

*1:ちなみに、定規とコンパスだけを使って与えられた任意の角を三等分することは不可能であることが証明されている。