jyanjayakaの日記

はやめのリリース、しょっちゅうリリース

「重力とは時空の歪みである」とは一体どういうことか。

空間が曲がっているとは一体どういうことか。

円柱面も球面も見た目的には「曲がって」いる。しかし実は円柱面上の幾何学は平面上のそれとまったく変わらない。一方で球面上の幾何学は平面のそれとは異なる。両者は曲がっているが、その「曲がり方」には何らかの差があるのだ。

 

幾何学を成立させるためには距離の概念が必要である。実際、任意の二点間に距離が定義できていれば、最短経路としての直線を定義することができる。そして空間は十分拡大するとユークリッド空間に収束するという仮定を加えれば、二直線間の角度を定義できる。こうして円柱面でも球面でも三角形を定義することができる。しかし内角の和は球面上では180°とはならない。

 

一体円柱面と球面との差はどこから来るのだろうか? それが見た目的な曲がり具合からではないことは明らかである。

 

距離が定義できれば幾何学が展開できる。したがってもしも、ある曲面を任意の二点間の距離を不変に保ったまま、平面上に写す事が出来れば(つまりそのような性質を持つ写像が存在すれば)その平面上で展開できる幾何学は、その写像によって全く同じように平面上で展開することが可能となるだろう。

 

つまり、円柱面と球面の差とはこの平面への「等長距離写像」が存在するか否かであるということになる。

 

すると次の問題は、等長距離写像が存在する条件とは何かということになる。これがいわゆるリーマンの曲率テンソルの出自である。つまり曲率テンソルが大域的に0になることと、等長距離写像が存在することとは同値なのである。(本当?)

 

距離を保つということから明らかなように、重要なのは空間の見た目なのではなく、その上に定義された距離=計量である。空間という集合論的な入れ物はそれ自身では空虚なものであるが、そこに計量を与えることによって一気に幾何学的存在として現れて来るのである。

 

アインシュタインが示した重力方程式というのは、この計量を決定するものだと言って良い。我々は時空という空間にどんな計量が定義されているのかア・プリオリには知らない。アインシュタインはそれを見つけたのである。

 

結論を言葉で言えば、時空の計量はそこにある物質の量で決まる。ということになる。そして計量が決まると直線=測地線が決まり、それが物体の運動だということになる。つまり重力によって物体が運動しているのではなく、物質が生み出す時空の計量によって物体の運動線が定まるのである。

 

要は重力とは計量なのである。そして計量は空間が「曲がっているか」どうかと言っても良い。なので、よくよく知られている一般相対性理論における標語「重力とは時空の歪みである」に落ち着くことになる。

 

次の疑問はもっと実際的なものだ。すなわち一体リーマンの曲率テンソルとはなんぞや? そもそもテンソルとはなんぞや? という話。一般相対性理論の話の持って行き方は分かったけれども、その具体的な構成方法が次に知りたくなって来るというわけだ。

数学での物理の見方

数学は形式を研究する学問である。

 

数学から物理を見ると、物理は単に数学が作り上げた形式に沿う具体例の一つに過ぎない。

 

物理をする上で数学が便利なのは、数学がすでに揃えてくれた色々な道具セットを使うことができるという点で、問題点はそれが形式論的で、非常に抽象的であるという点だ。

 

リーマン幾何学位になってくると、ある程度数学の形式論の力を借りた方が議論の筋道が分かりやすくなってくる。

 

物理学は常に座標系を想定しなければならないが、数学は座標系に依存しない形式で物事を表現する方法をすでに構築している。

 

 

曲線座標系と座標変換について

極座標はしばしば

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こんな感じで描かれる。これを見ると確かに「曲線」座標系という感じがする。ただこれが曲線なのは、直交座標系を前提として、そこに極座標系を表現した結果である。

 

直交座標系の点が極座標系ではどの点に対応するか示すためのチャートである。

 

一方で、こういう曲線が実際に平面上に描かれていると考えることもできる。それは直交座標があまりにも当たり前すぎることから来るものである。

 

数学的形式の部分と物理的意味とを区別する必要がある。

 

抽象的に言えば、座標系とは空間の各点に対して座標を対応させるシステムのことである。このシステムそれ自身を考えるとき、つまりシステムが既に与えられていて、それを前提としてシステムそのものの性質を考察するしようとする時、我々は数学的にモノを見ている。

 

一方、そのシステムを具体的にどうやって構築するかを考えるとき、我々は物理的にモノを見ている。構築方法としては、既に知っているように空間に格子を描いたり、同心円を描いたりする。ただ数学はそういう「舞台裏」は知らないことになっている(というかそれらは考察の対象外)である。

 

加速度運動をする観測者は、別に空間に曲線を描いて座標系を設定しているわけではない。自分が使っているのは直交座標系だと思っている。(もちろん曲線を描いて座標系を設定してもいいが、普通そんなことはしない。)

 

それが曲線座標系だと言われるのは、それを別の観測者の座標系から見たときの話である。上で言う「チャート」を描いた時だ。

 

二人の観測者A,Bはどちらも大真面目に自分の座標系は直交座標だと思っているし、そこに間違いはない。

 

実際二人は座標系の設定方法(つまり物理的な視点)としては同じもの(空間に直交格子を描く)を使っている。問題になるのはそれらの間の座標変換を考えた時である。それが簡単な一次変換とならないことの一つの現れが、チャートにおける曲線座標と言える。

 

座標系の物理的設定方法と数学的な座標変換の話を混同してはいけない。

 

なぜ曲線座標系が曲線座標系と呼ばれるのかと言うと、それはその座標系の物理的設定方法が曲線を用いるからである。

 

空間が曲がっているということと、座標系の設定方法として曲線を使うということとは全く異なる話である。真っ直ぐな空間に曲がった座標系を描くことは別に全然可能である。

特殊相対性理論における四元ベクトルについて

ここで話したようにベクトルは座標変換で位置座標と同じ変換規則で変換される数の組みとして定義される。

 

特殊相対論においては考えている空間はいわゆる「時空」と呼ばれる四次元空間であり、想定される座標変換は(ガリレイ変換ではなく)ローレンツ変換である。

 

したがって特殊相対論で言う所のベクトルとは「4つの数の組みであり、ローレンツ変換において位置座標と同じ変換規則で変換されるもの」のことである。これを四元ベクトルと呼ぶ。

 

ニュートン運動方程式はこの四元ベクトルを用いて書き直す必要がある。そうしなければ運動方程式は物理法則とならないから。運動方程式は従来のガリレイ変換においては運動方程式は不変であったけれども、ローレンツ変換ではもう不変でなくなると言っても良い。

 

他にも「時間を特別扱いしている」とか言う。それは今までのガリレイ変換を基本とした三次元ベクトルをローレンツ変換を基本とする四元ベクトルの観点から見たときの話である。

ベクトルと座標変換

物理法則は座標変換で不変でなければならない。なぜなら座標とは人間が設定した恣意的なものであり、自然法則はどんな座標系が設定されているのかなど「知らない」からである。

 

従って自然法則は座標変換で不変な形式で表現されなければならない。

 

物理法則はある二つの物理量が等しいことを表現するものである。例えばニュートン運動方程式

F=ma

は力Fと加速度(を質量倍したもの)maが等しいことを表現している。

 

この「等しい」というのが、どんな座標系でも等しいことを要求する。ベクトルを用いるとこれが簡単に表現できる。

 

ベクトルとは座標変換において位置座標と同じ変換規則で変換される数の組みのことである。

 

したがって二つのベクトルA,Bが等しいA=Bであることは、全ての座標系で保証される。なぜならA,Bは定義から同じ変換規則で変換されるから。

 

要はベクトルというのは物理法則を表現するための便利な数学的道具であるということだ。別に何か新しい物理的意味がそこに含まれているということではないので気をつけること。

波動方程式の物理的意味

波動方程式

\dfrac {1}{s^{2}}\dfrac {\partial ^{2}u}{\partial t^{2}}=\dfrac {\partial ^{2}u}{\partial x^{2}}+\dfrac {\partial ^{2}u}{\partial y^{2}}+\dfrac {\partial ^{2}u}{\partial z^{2}}

 がなぜ「波動」を表現するのかを直感的に理解したい。google検索して見ても、ヒットするのは弦や空気といった具体的な波動現象から波動方程式を導出するもの。

 

知りたいのは「波動」というものの本質がこの数式によって表現されているという理由。

 

そもそも「波動」とは何かという話。水面を渡っていく波を見れば、それが「波動」だというのはすぐに分かるけれども、その本質を言葉で表現することは出来ないだろうか?

 

「伝達現象」を総称して「波動」と述べているわけではない。なぜなら伝達現象の中には拡散や移送といった現象も含まれていて、例えば拡散方程式は波動方程式とは別の

\frac{\partial C}{\partial t} = D \left( \frac{\partial ^2 C}{\partial x^2} + \frac{\partial ^2 C}{\partial y^2} + \frac{\partial ^2 C}{\partial z ^2} \right)

という偏微分方程式で表現される。

 

拡散方程式がなぜ時間について二階の導関数が含まれているのか?その物理的な意味は何なのか?

 

「一般に波動と呼ばれている現象が実際こういう方程式で表現できるからそれでいい」というスタンスもあり。

 

電磁気学は何をやっているのか

電磁気学基本法則はマクスウェル方程式というが、一体何を以って「基本法則」なのか。

 

ニュートン力学ニュートン運動方程式基本法則であるという。これは分かりやすい。なぜなら運動方程式を解けば物体の運動が明らかになり、それが力学の目標であるからだ。

 

マクスウェル方程式は「方程式」というからには何か未知のものがあって、それを求めるために存在するのだろう。それは何か? 

 

それは電磁場だ。

 

そう考えると電磁気学は力学と同様に誠に分かりやすい。マクスウェル方程式を書いて「これを解けば電磁場が求まります」おわり。

 

ただ問題として、マクスウェル方程式が本当に電磁場を決定するに足るものなかということがある。例えば連立方程式は、式の数が足りないと未知数を全て決定できない。マクスウェル方程式も、ちゃんと足りているのか不安になる。運動方程式の場合はそれは直感的に明らかなのだが、電磁気学の場合はなかなか直感的な理解が難しいので、ここは慎重にならなければいけない。

 

電磁気学の教科書に載っている他の部分は、全てマクスウェル方程式の応用に過ぎない。電磁場が関係する実際の物理現象に対してマクスウェル方程式を当てはめて、計算する。つまり実際に「電磁場を求める」作業だ。力学で言えば、色々な演習問題を解く部分だ。

 

方程式だけ見ても物理が分かっているとは言えないのだから。

 

教科書には流派が二つあって、まずマクスウェル方程式をどーんと示して「あとはこれを応用していきます」とやる場合。もう一方は個々の電磁気学的現象から出発して、それを数学的に定式化することでマクスウェル方程式に至るもの。