マクスウェル方程式は本当に基礎方程式か
電磁気学とは電場と磁場の性質を明らかにするものである。したがって最終目標は電磁場を決定することである。
マクスウェル方程式が基礎方程式と言われるからには、その方程式を解くことによって電磁場が決定できなければならないだろう。
しかしマクスウェル方程式がちゃんと決定するに足るか、つまり電磁場決定の必要十分条件であるかは直感的には明らかではない。
どの教科書もマクスウェル方程式が基礎方程式だという前提でスタートしている。
もしマクスウェル方程式が必要十分であれば、その理由を、なるべく直感的に分かりやすく理解したいと思う。
ニュートン力学の基礎方程式であるニュートンの運動方程式は、物体の運動を決定するだろうか? 物体に力が働くと、物体には加速度が生じる。加速度が生じると速度が変化する。(速度の変化率が加速度なのだから当たり前だが。)速度とは位置の変化率であるから、結局物体の運動は運動方程式で理解できそうである。
加速度と力という特別な概念に注目し、それらの間の関係を記述するものとして運動方程式を定義する。こうすると、物体の運動が確かに運動方程式で定まるということが、直感的に理解できる。これは注目する概念が正しかったからだろう。
一方電磁場の振る舞いを理解するのは、物体の運動ほど簡単ではない。それがマクスウェル方程式が基礎方程式かどうかという疑義の源である。マクスウェル方程式を直感的に理解するにはどんな概念に注目すれば良いだろうか。
運動と測地線について
アインシュタイン方程式によって時空の計量が定まる。それはそれで大変結構なのだが、それだけでは物体の運動について何も積極的なことは言えない。
運動とは位置の連続的変化である。ではなぜ物体はその位置を変化させるか。時空の計量からだけではそれは定まらない。何か別の積極的な仮定が必要となる。
そこで、物体の運動は他に何も力を受けていないならば測地線に沿って位置を変えるという仮定を設けて初めて時空の計量と力学とが結びつく。これはニュートン力学における慣性の法則の自然な拡張である。
「重力とは時空の歪みである」とは一体どういうことか。
空間が曲がっているとは一体どういうことか。
円柱面も球面も見た目的には「曲がって」いる。しかし実は円柱面上の幾何学は平面上のそれとまったく変わらない。一方で球面上の幾何学は平面のそれとは異なる。両者は曲がっているが、その「曲がり方」には何らかの差があるのだ。
幾何学を成立させるためには距離の概念が必要である。実際、任意の二点間に距離が定義できていれば、最短経路としての直線を定義することができる。そして空間は十分拡大するとユークリッド空間に収束するという仮定を加えれば、二直線間の角度を定義できる。こうして円柱面でも球面でも三角形を定義することができる。しかし内角の和は球面上では180°とはならない。
一体円柱面と球面との差はどこから来るのだろうか? それが見た目的な曲がり具合からではないことは明らかである。
距離が定義できれば幾何学が展開できる。したがってもしも、ある曲面を任意の二点間の距離を不変に保ったまま、平面上に写す事が出来れば(つまりそのような性質を持つ写像が存在すれば)その平面上で展開できる幾何学は、その写像によって全く同じように平面上で展開することが可能となるだろう。
つまり、円柱面と球面の差とはこの平面への「等長距離写像」が存在するか否かであるということになる。
すると次の問題は、等長距離写像が存在する条件とは何かということになる。これがいわゆるリーマンの曲率テンソルの出自である。つまり曲率テンソルが大域的に0になることと、等長距離写像が存在することとは同値なのである。(本当?)
距離を保つということから明らかなように、重要なのは空間の見た目なのではなく、その上に定義された距離=計量である。空間という集合論的な入れ物はそれ自身では空虚なものであるが、そこに計量を与えることによって一気に幾何学的存在として現れて来るのである。
アインシュタインが示した重力方程式というのは、この計量を決定するものだと言って良い。我々は時空という空間にどんな計量が定義されているのかア・プリオリには知らない。アインシュタインはそれを見つけたのである。
結論を言葉で言えば、時空の計量はそこにある物質の量で決まる。ということになる。そして計量が決まると直線=測地線が決まり、それが物体の運動だということになる。つまり重力によって物体が運動しているのではなく、物質が生み出す時空の計量によって物体の運動線が定まるのである。
要は重力とは計量なのである。そして計量は空間が「曲がっているか」どうかと言っても良い。なので、よくよく知られている一般相対性理論における標語「重力とは時空の歪みである」に落ち着くことになる。
次の疑問はもっと実際的なものだ。すなわち一体リーマンの曲率テンソルとはなんぞや? そもそもテンソルとはなんぞや? という話。一般相対性理論の話の持って行き方は分かったけれども、その具体的な構成方法が次に知りたくなって来るというわけだ。
曲線座標系と座標変換について
極座標はしばしば
こんな感じで描かれる。これを見ると確かに「曲線」座標系という感じがする。ただこれが曲線なのは、直交座標系を前提として、そこに極座標系を表現した結果である。
直交座標系の点が極座標系ではどの点に対応するか示すためのチャートである。
一方で、こういう曲線が実際に平面上に描かれていると考えることもできる。それは直交座標があまりにも当たり前すぎることから来るものである。
数学的形式の部分と物理的意味とを区別する必要がある。
抽象的に言えば、座標系とは空間の各点に対して座標を対応させるシステムのことである。このシステムそれ自身を考えるとき、つまりシステムが既に与えられていて、それを前提としてシステムそのものの性質を考察するしようとする時、我々は数学的にモノを見ている。
一方、そのシステムを具体的にどうやって構築するかを考えるとき、我々は物理的にモノを見ている。構築方法としては、既に知っているように空間に格子を描いたり、同心円を描いたりする。ただ数学はそういう「舞台裏」は知らないことになっている(というかそれらは考察の対象外)である。
加速度運動をする観測者は、別に空間に曲線を描いて座標系を設定しているわけではない。自分が使っているのは直交座標系だと思っている。(もちろん曲線を描いて座標系を設定してもいいが、普通そんなことはしない。)
それが曲線座標系だと言われるのは、それを別の観測者の座標系から見たときの話である。上で言う「チャート」を描いた時だ。
二人の観測者A,Bはどちらも大真面目に自分の座標系は直交座標だと思っているし、そこに間違いはない。
実際二人は座標系の設定方法(つまり物理的な視点)としては同じもの(空間に直交格子を描く)を使っている。問題になるのはそれらの間の座標変換を考えた時である。それが簡単な一次変換とならないことの一つの現れが、チャートにおける曲線座標と言える。
座標系の物理的設定方法と数学的な座標変換の話を混同してはいけない。
なぜ曲線座標系が曲線座標系と呼ばれるのかと言うと、それはその座標系の物理的設定方法が曲線を用いるからである。
空間が曲がっているということと、座標系の設定方法として曲線を使うということとは全く異なる話である。真っ直ぐな空間に曲がった座標系を描くことは別に全然可能である。
特殊相対性理論における四元ベクトルについて
ここで話したようにベクトルは座標変換で位置座標と同じ変換規則で変換される数の組みとして定義される。
特殊相対論においては考えている空間はいわゆる「時空」と呼ばれる四次元空間であり、想定される座標変換は(ガリレイ変換ではなく)ローレンツ変換である。
したがって特殊相対論で言う所のベクトルとは「4つの数の組みであり、ローレンツ変換において位置座標と同じ変換規則で変換されるもの」のことである。これを四元ベクトルと呼ぶ。
ニュートンの運動方程式はこの四元ベクトルを用いて書き直す必要がある。そうしなければ運動方程式は物理法則とならないから。運動方程式は従来のガリレイ変換においては運動方程式は不変であったけれども、ローレンツ変換ではもう不変でなくなると言っても良い。
他にも「時間を特別扱いしている」とか言う。それは今までのガリレイ変換を基本とした三次元ベクトルをローレンツ変換を基本とする四元ベクトルの観点から見たときの話である。